朝活日記 PART2 「お寺に行くことで、1日のスタートをきれることに気がついた」
今週から始めた朝活がなんとか今日まで続いている。
初日に関して言えば、朝活ができた満足感で、その日一日中、充実感を持って過ごすことができた。
その次の日も、仕事の前に20分程度朝活をしたことで、自己肯定感が高まり、一日中テンションを高い状態で過ごすことができた。
テンションの高いまま職場に行き、後輩に朝活の良さを熱弁したことによって、完全に煙たがれてしまったので、必ずしもテンションが高いことは良いことではないのだと実感した1日でもあった。
問題は昨日からだ。
なんとなく朝活自体には慣れてきたものの、慣れのせいで気分が上がらない。
気分が上がらないので、朝走るのがなかなか辛い。
初日なんかは、「どこまででも走れるのではないか」という爽快感を携えてランニングしていたが、昨日は「決めたことだから走ろう」と義務と捉えてランニングしていた。
スタートダッシュをきるというよりは、1日のスタートを朝に全て使い切ってしまうような感覚で、日中のパフォーマンスがそこまで上がらない。
上がらないというよりは完全に落ちている。
昨日なんかは、ランニング以外何もしなかった1日といってもいいだろう。
こうなってしまうと朝活の意味がなくなってくる。
日中のパフォーマンスを上げるためにやっているのに、朝に疲れ切ってしまったら本末転倒だ。
これはなかなか問題だなと思い今日もランニングに向かった。
モチベーション的には昨日と同じように、さっぱり上がらない。
走っている最中も、しんどさしか感じなかった。
途中あきらめて歩きながらどうにか家の近くまでたどり着くものの、このままではいけないという感覚があった。
何かを変えなくては長続きしないという、惰性を積み重ねた人間の鋭い勘が働いた。
そこで帰り道に家の近くの大きなお寺に行くことにした。
基本的には年末年始にしか行かないが、今日はなぜか寄ってみようという気持ちになった。
参道を歩き、こんなところにカフェがあったのかと小さな発見をしていると門が見えた。
立派な彫刻がある門をくぐると、一気にダイナミックなお寺が目に入る。
青空と白いお寺のコントラストが絶景であった。
そこだけ時が止まっているかのような静けさで、通勤のピークの時間帯にも関わらず、都会の喧騒を忘れさせてくれた。
今日は小銭を持っていなかったので、お参りはせず、池を泳いでいる鯉や小さな滝を見ながら過ごしていた。
すると自分でも驚いたことに日常から離れた空間に一時的に行くことで、緩んだ心がリセットされ、ハリが出てきた。
成功者はお寺や神社によく行く、という話をどこかで聞いたことがあったが、それはきっと日常から離れた空間に行き、自分の心を落ち着かせることで、リスタートをきるためなのではないかと思った。
そう考えると、1日の始めにお寺に行くのは、スタートを切るために最適かもしれない。
ダラダラ過ごしていると1日のスタートの鐘を鳴らすことができないが、参拝することで1日のスタートの合図になる。
家に帰り、自分の仕事をしたあと、今この文章を書いているが、昨日よりもシャンとした気分で文章をかけている。
いつの日か、参拝することが日常になってしまうのではないかという不安感はあるが、明日からもこれを習慣づけていきたい。
5円だけ持って行って毎日参拝しよう。そうすればもっと心を整えることができるだろう。
もちろん「毎日参拝すればご利益があるのではないか」という下心が、お寺に寄る理由の半分を占めていることはいうまでもない。
#朝活
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