エッセイってなんだろう

金銭感覚がおかしくなってしまった社会人が、金銭感覚を取り戻すために奮闘する日記。を書いていたら文章を書くこと自体にはまってしまった。とりとめもない話ばかりだが、読んでいて楽しくなるような文章を書けたら。

カメラ

今週のお題「外のことがわからない」

 

高給取りではない普通のサラリーマンにとって、給付金をいただけるのは大変ありがたい。

幸いなことに生活を切り詰めなくてはならないほど困窮している訳ではないのが、10万円というのは私にとってかなり重みがある。

10万円が入ったら何に使うのかという話題が最近仲間内で上がることが多いが、私はすでに決まっている。

カメラのレンズを購入する。一眼レフのレンズだ。

実を言うと、まだ支給されていないのに、すでにクレジットカードを使って購入してしまった。

カードの引き落とし日より前に給付金が振り込まれるのを祈っている。

 

一眼レフを買ったのは去年のことだ。

何か撮りたいものが決まっていたわけではないのに、カメラを持っている方が人生が豊かになるのではないかと思い、なけなしのボーナスを叩いて買った。

友人にそのことを伝えると、

「大学生になるとみんな一眼レフ買うよね。私も昔買ったよ。」

と言われた。

社会人になって数年経ってやっと世間の大学生が通る道を歩めたようだ。

人生が周回遅れしている気がした。

他の友人に報告しても、「youtuberにでもなるのか」と揶揄された。

正直自分で動画を作ってyoutubeにアップしていたので、図星を突かれ、言い返す言葉が見つからなかった。

 

誰にも「いい買い物だね」と言われなかったが、私自身はとても満足している。

といっても何か特別なモノを撮っているわけではない。

食べ物を撮ったり、町の風景を撮ったりするでけなので、スマホのカメラでも十分なのかもしれない。

写真をたくさん撮って、スマホでは表現出来ないと思ったらカメラを買うべきなのかもしれない。

ただ、カメラを買ったことで日常の些細な変化や発見を大切にできるようになった。

写真を撮るという意識があるだけで、何気ない日常が輝いて見える時がある。

ベランダに差し込んでいる光が綺麗だったりとか、ただのゴミにしか見えないガラクタの山も哀愁をまとっていて芸術のように見えたりだとか、間違いなくそれまでは見落としていた日常の素晴らしさに気がつけるようになった。

わざわざ観光地やインスタ映えするスポットに出向かなくても、家から仕事場までの道に素敵な風景はたくさんある。

大げさかもしれないが、なんてことのない日常がカメラを持つだけで、芸術になった。

 

コロナによって多くの人がこれまでもなんでもない日常の素晴らしさに気がつけたと思う。

外食できること、友人と集まって会話すること。

こんな当たり前だったはずの日常が今ではとても貴重な経験になっている。

 

大げさかもしれないが、カメラも同じようになんでもない日常の素晴らしさを教えてくれる。

当たり前だと思っていることの中に、素晴らしいものがあることを教えてくれる。

お世辞にも綺麗な写真が撮れているわけではないが、それを知ることができただけでもカメラを買ってよかったと思える。

 

10万円でカバンを買ってモノ消費するか、旅行をしてコト消費をするか悩んでいるという話が友人との会話の中で出てくる。

もちろん何を買ってもよいが、カメラを買えば、モノ消費にある買った時の満足感だけではなく、日常が旅行のように楽しくなるというコト消費的な満足感もある。

これを友人に力説したいのだが、もう大学生には戻りたくないので、グッと堪える。

残高が増えない口座を毎日確認しながら、10万円で一気一憂するちっぽけな日常を彩るために、今日もシャッターをきる。