パパ活女子になりたい PART1
最近思う。パパ活女子が羨ましい。
何もしないでも、お金を振り込んでくれて、タワマンを借りてくれて、インスタに華やかな生活をアップするだけの生活をしてみたい。
そう思うことが増えた。
コロナで暇な時間をSNSに費やすことが多くなり、パパ活女子と思しき人の投稿を目にする時間が増え、私の中の嫉妬や妬みなどの邪悪な感情も芽生えることが多くなったからだ。
つくづく私はSNSに向いていないんだなあと思う。
本来なら、人の投稿を見て微笑ましく思うべきなのに、そういったプラスの感情より先に妬みというマイナスの感情が出てくる。
なぜ、よくわからない芸能人風の人が毎日銀座や赤坂の高級なお鮨屋さんに行けているのだろうか。年に何度も海外に行っているのだろうか。
妬みなのか嫉みなのか怒りなのかわかならない黒々とした感情が体の底から湧き出してくる。
ふと我に帰り、黒々とした感情をこれ以上肥大させないため、見ていたSNSをそっと閉じる。
時間を持て余しているので、こういう生活をすることが増えた。
さて、話は逸れてしまったがパパ活女子になってみたい。
何もしなくてもお金が貰える環境で生活したら、どれだけ幸せになるだろうか。
そんなことを妄想することが増えた。
お金も時間も無限にある状態だったら何をするだろうか、と考えてみる。
まず高いレストランに行って、ブランドものをたくさん買って、高級車を乗り回すだろう。
スポーツカーに乗って、銀座のお鮨を食べに行く。ザ・お金持ちという感じだ。
間違いなく気分が高揚する。
次に海外旅行にも行っていいホテルで絶景を眺めたい。
そんな生活を妄想していると、「あ、この生活はすぐに飽きるな」というのもすぐにわかった。
平凡な暮らしから華やかな生活になったことで、
その新鮮さに心惹かれるものは間違いなくあるだろうが、
おそらく1ヶ月もしないうちにその生活が日常になり、魅力的なものではなくなる。
だからSNSに投稿して、承認欲求を満たそうとするのだろう。
お金がある生活をしても、きっと生活それ自体の満足感を、今とさほど変わらないのだろう。
じゃあ何がしたいのかと言われれば、友人と食事をして、愛する人と一緒に過ごし、1人の時間は文章や映像を作っている。
結局今の生活に似た日常を過ごしたがっているようだ。
それなのに、なぜパパ活女子が自分よりも幸せそうに見えるのだろうか。
幸せな一面を切り取った写真しか見ることができないからかもしれない。
本当は彼女たちの中にも、ドロドロとした感情はあって、日々悩みを抱えているのだろう。
ただSNSではそんな一面を見ることができない。過去の投稿にあるのは華やかで色鮮やかな一面だけだ。だから、ずっと幸せでいるのではないかという錯覚をしてしまう。
結局憧れているのは、華やかで贅沢な生活というよりは、ずっと幸せで笑顔でいるような精神性なのかもしれない。生活は今のままでおそらく十分なはずだ。
SNSのせいで、本当はいるはずもない常に幸せな人間という幻想が作り出されていて、どうやら私はその幻想と格闘していたようだ。
パパ活女子は常に幸せだ、というレッテルを貼って、そんな幻想と闘っていた。
間違いなく負け戦だ。
幻想を幻想と割り切ることができるのならいいが、当分はできそうもない。
またパパ活女子に憧れ出す日がくるだろうから、負の感情が溜まったら、また文章にして吐き出そうと思う。
#パパ活