スペシャリストじゃなくていいんだと思ったら気が楽になった
私が就活をしていた頃、「AI」という言葉が取り沙汰されていた。
あと数年のうちにAIは大きく発展し、今人間がしている仕事の大半は必要なくなるだろうという話を至る所で聞かされてきた。
本当にそうなるのかどうか怪しんではいたが、ではそのような時代になったら自分はどうすればいいのだろうかと不安になったのも事実だった。
そんな不安の中あれこれ思案し、思い立った解決策としては専門性を身につける、つまりスペシャリストになるということだった。
あらゆることを70点でできる人間になるよりは、一つのものを120点でできる人間になる方が、今後社会に必要とされると思ったからだ。
その考えをベースにして、就活に挑み、社会人になってもスペシャリストになることにこだわっていた。
自分の頭の中には何か一つのものにこだわらなければいけないという脅迫観念が常にあった。
専門性を身につけるための仕事以外に時間を費やすのは無駄なことだと思っていた。
専門性を身につける上では作られた1つのレールをどれだけのスピードで走れるかだけが重要だ。レールの先を自分で作り出してやろう、新しいレールを敷いてやろうとは微塵も思わなかった。
自分の進んでいるレールには先を行く人がいて、その人たちに追いつき追い越すことだけしか考えられなかった。目をそらせばそれが命取りになる。そう自分に言い聞かせていた。
だからレールの上を進んでいたとしても、数年後の自分の姿はわかっているので、ちっとも面白くなかった。
そのようなつまらない日常を生きる中で、先日星野源さんの本を読んだ。
ピースの又吉さんとの対談が載っていて、そこで、
「何か専門を絞らなくてはいけない時代になっていて。なんでみんなそんなに視野が狭くなちゃったんでしょうね?」
という一文があった。
その文章に脳が揺さぶられた。
確かに星野源さんも又吉さんも、色々な仕事を手がけていて、職業という肩書きにとらわれていない。
軸となるレールがあるはずなのに、違うレールも走っていて、その二つがぶつかることでさらに大きな仕事になっている。
だからこそ見えている世界があるのだろうし、作ることができるものもある。
自由に見えるけど、それだけではなくて、常に貪欲に人生を求めているのだ。
そんなアグレッシブな姿を見て、なんてかっこいいんだろうかと思った。
同時に自分は今までどれだけ停止していたのだろうかと後悔の気持ちが押し寄せてきた。
これからはもっと人生に貪欲になりたい。
面白いと思うものをどんどん作っていきたい。
今やっている仕事も大切だ。だけどそれだけにとらわれないで、もし違う角度から掘って行ったらどうなるのだろうか、どこで二つはぶつかるのだろうかというワクワク感を持っていきていきたい。
今の仕事に行き詰まったら、次はどういう仕事に転職しようかばかり考えていた。
しかしもし違うレールに乗ったとしても、どうせまた同じような道を歩むことになるだけだ。
自分が求めているのはそういう人生ではない。
単純に副業がしたいとかそういう話ではない。
お金のためにするわけではなくて、今は想像できない未来の自分を掘り起こすために、活動していきたい。
その時には違ったものの見方ができるだろうし、全く違ったものを作り出すことができる。
そんな自分の可能性を夢見ながら、今日も文章を書いていく。