エッセイってなんだろう

金銭感覚がおかしくなってしまった社会人が、金銭感覚を取り戻すために奮闘する日記。を書いていたら文章を書くこと自体にはまってしまった。とりとめもない話ばかりだが、読んでいて楽しくなるような文章を書けたら。

20キロ歩こうとしたのに

今日も今日とて、自宅待機。

もはやこれが日常となってきた。

人間の環境に適応する力に感心するとともに、ずっと家に引きこもっていては健康に良くないと思い、今日こそは散歩をしようと決意した。

どのくらい散歩できるのか自分の実力がわからなかったので、とりあえずは20キロくらい歩いてみようと思った。

20キロはかなりの距離かもしれないが、

毎週ランニングしてるし、過去に1日で50キロ歩いたことがあったので、20キロくらい朝飯前だと思っていた。

 

特に行き先も決めていなかったので、とりあえず近くの大きな駅までいってみようと歩き出す。

歩き始めて30分、思ったことは、

「20キロ無理」

体感では7キロくらい歩いた感覚だったが、スマホ歩数計をみるとわずか2.5キロ。

嘘だろ、信じられない。自分の感覚を疑う前に、スマホのアプリを疑い始め、試しに家からの距離を地図で調べてみたところ、しっかり2.5キロだった。

歩数計の正確さに感心しながらも、自分の感覚のあてにならなさに落胆した。

 

「20キロって果てしないな、確かにハーフマラソンの距離だもんな、仕方ない」

と言い訳を無理やり自分に言い聞かせ、とりあえず目的の駅までは歩こうと決める。

本当はその駅からも歩いて帰る予定だったが、その時はすでに帰りはバスにするか電車にするのかの2択に絞られていた。

散歩までして、自分の意思力の弱さのせいで自己嫌悪になると思いもしなかった。

 

「昔ならこのくらいは余裕だったのになあ」と自分の体の衰えを感じるとともに、

昨日友人が不意に放った「最近揚げ物が食べられなくなってきた」というセリフがグッと身近なものに感じられた。

そのセリフに怖さを覚えながら横断歩道を渡っていると、

チェーンの唐揚げ屋さんがあった。

運命にも感じられ、そこに行くしかないと思ったが、もしここで唐揚げが食べられなかったら自分の衰えにショックを受けすぎて、もう歩を進められなくなってしまうと思ったので、何も悪くない唐揚げ屋さんの看板をにらみながら素通りした。

 

久しぶりに歩いたのと、温度がちょうど良かったこともあって、なんとか無事に目的の駅まで辿りついた。

コロナで人々の娯楽がほとんどなくなっているなか、唯一許されているのが散歩くらいなので、心なしか人が多かったようにも思える。

おそらく散歩している人たちとすれ違うと、同じ境遇を抱えた人のような気がして、一方的に親近感を覚えた。

早くこういう生活が終わるといいなと思いながら、もしコロナが収まったら次こそ20キロ歩いてやろうと、帰りのバスの中、一人考えていた。