エッセイってなんだろう

金銭感覚がおかしくなってしまった社会人が、金銭感覚を取り戻すために奮闘する日記。を書いていたら文章を書くこと自体にはまってしまった。とりとめもない話ばかりだが、読んでいて楽しくなるような文章を書けたら。

小さな違いが

先日、カメラのレンズを買った。7万円もするものだ。
カメラをやっている人からすればレンズは大体そんなものだろうと思うかもしれないが、やってない人からすればレンズに7万円をかけるなんて信じられないはずだ。
私自身、カメラを始めたのが最近で感覚的には後者の方が近い。
本当に7万円の価値があるのか疑心暗鬼だった。
7万円あれば、そこそこいい旅行にも行けるし、ブランド物の財布だって買える。
それでも友人はレンズが違うだけで大きく違うと強く主張してくる。
多少の迷いはあったものの、コロナの給付金も支給されるということなので、ここは思い切って買ってみた。

 

結果としては、大満足だ。
今までと同じカメラを使っているのか?と疑問に思うほどに、綺麗に写っている。
買い物で、ここまで満足し感動できるのは久しぶりだったので、本当に買ってよかったと思っている。
その日は小学生がおもちゃを買ってもらった時のように一日中ウキウキしながらシャッターを切っていた。
ただ、その写真をカメラをやっていない人に見せても、私が感じた感動を共有することができなかった。
「なんか綺麗な気もするけど、7万円の価値はないんじゃないかな」誰もが口をそろえてこう言った。
それでも私にはわかる。その小さな違いが大きな差を生むのだ。
誰にもわかってもらえないかもしれないが、その違いが自分の人生の満足感を変えてくれる。

 

この前ファミレスに行ったとき、1人用のテーブルに通された。
お昼の時間帯なので仕方ないかと思いつつも、平日ということもあり比較的お店は空いていたので、隣のテーブルをくっつけてほしいなと思いながら食事を取っていた。
特に客足が増えることもなく、食事も終わったので食器を下げてもらって、パソコンで作業をしていたところ、若い店長と思しき男性がテーブルをくっ付けてくれた上に、ゆっくりしていってくださいねと言ってくれた。
小さな優しさかもしれないが、その優しさが私の荒れている心を癒してくれた。
そういう小さな気遣いが大切なんだと店長に教えてもらった気がした。

 

小さな違いはきっとほとんどの場合気がついてもらえないかもしれないが、だからといって無視してしまえば、自分に嘘をつくことになる。
自分にとって最良のものをつくることを意識しなければ、いつまでたっても良さを気づいてもらえないだろう。
「神は細部に宿る」という言葉があるように、小さな違いを追求できるかどうかで、その作品の良さは変わってくるはずだ。
小さな違いを作るというのは結構めんどくさい。
報われるかどうかもわからない上に、そもそも気がついてもらえないかもしれない。
それにも関わらずの違いを作り続けることは相当根気のいる作業だ。
それでも私はその違いを作り続けられる人間で居たい。ズボラな人間で不安だけどいつか報われることを信じて作って行こう。

 

ちなみに、そのファミレスで頼む予定のなかったデザートを頼んだ。
私の些細な恩返しだ。